煮物

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誰かが誰かの生き方を「羨ましい」というのは人の常なのかもしれない。

海外に住んでいると、羨ましいと言われることがある。

全くもって特別感は無いし、シンプルにやりたいことを好き勝手やってきただけ。
足らないモノも盛りだくさん。

「選択する」という点に置いて、子供の頃に習った算数や理科のテストにあったような明確な答えって、
大人になるにつれどんどん少なくなっていく。

誰が見てもそれは正解で、

誰が見てもそれは不正解。

テストは難しかったけど、答えがちゃんとあるってのは簡単。

人に当てはめてみると答えはどうなるんだろう?

それぞれやりたい事や好きな事があって、今後何をするかを選択していく。

進学や就職、国内、海外、とにかく自分自身で選んでいくものは多い。

ある者はずーーっと同じ会社に勤め、
ある者は国内外へ新天地を探し、
ある者は数年後に独立する。

安定して定期的に収入があるけど、やりがいが無いという人もいれば
やりがいはあるけど、苦労に収入が見合ってないという人もいる。

会社勤めの人を悪く言う人もいれば、
いわゆるフリーランス、ノマドっていう人達を悪く言う人もいる。

会社勤めをしながら円満な家庭を築くも一つの幸せの形だし、
独立してガッツリ働いて稼ぐのも一つの幸せ。
あちこち転々としながらも好きな事とトコトン向き合って突き詰めていくのも、もちろん幸せの形だろう。

どっちが良いとか、どっちが悪いとか、どっちのほうが偉いとか優れてるとかじゃない気がする。
そもそも比べるもんでもない。その人に合った形があるから。

いろんな道があって、自分で選択したモノはある意味すべて正解だし、すべて不正解。

それを決めるのは自分自身。決められるのも自分自身。

じゃぁどうやったら全て正解だったと思えるんだろう?

たぶん、、、自分の決めた1つの物事について

「これ以上やれないくらい、やりきった!」

「もう、煮ようが無いくらい煮た!」

と思えるくらいガッツリ全力投資することじゃないのだろうか。

どの道を選んだとしてもきっと正解と思えると思う、たぶん。

それって特別な事ではなく、むしろコツみたいなもんで誰もが出来ることだし、今日からも出来る。

もちろん明日止めることも。

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